「30歳で役員になれなかったら、退職する」——高校進学を諦めかけた男が、リクルートの基盤事業の経営者になるまで

佐古 龍/株式会社リクルート住まいカンパニー ネットビジネス統括本部 プロダクトマネジメント1ユニット グループマネージャー

市場規模約40兆円——たった一つの産業で、日本のGDP(国内総生産)のおよそ7%を占める巨大な市場が、不動産である。

参入するプレイヤーは増え続けており、現在法人数は32万を超えている。しかし、まだまだIT化が進んでおらず、市場には情報の非対称性など“不”が少なくない。その不動産領域において、IT化の旗振り役を目指すのが、国内物件数No.1の不動産・住宅情報サイト「SUUMO」だ。

「SUUMO」の中でも、基盤事業である賃貸事業のプロダクト責任を担うのが、現在入社5年目、弱冠27歳のプロデューサー・佐古龍である。

佐古は過去、勉強ができず、「高校進学すら難しい」と言われた経験を持つ。彼はいかにして、リクルートの大黒柱の責任者へとキャリアを切り拓いてきたのだろうか。彼の過去を振り返り、キャリアを拓く思考と行動を紐解いていく。

*不動産ポータルが掲載する賃貸、マンション、戸建、土地の日本全国総計 2019年9月末時点(株)東京商工リサーチ調べ

PROFILE

佐古 龍

株式会社リクルート住まいカンパニー ネットビジネス統括本部 プロダクトマネジメント1ユニット グループマネージャー

2016年リクルートホールディングスに新卒で入社。1年目はR&D関連のプロジェクトで複数案件の企画開発に貢献し、通期新人賞を受賞。2年目は、事業提携・事業開発プロジェクトのリーダーを担当し、通期MVPを受賞。4年目の2019年より、SUUMO(賃貸)プロデューサー兼プロダクトマネジメントグループ・グループマネージャーとして、事業計画全体の推進を担う。

「be動詞が分からない」学生がトップに執着するようになるまで

佐古さんは学生時代、どのようなキャリアを歩もうと考えていたのでしょうか。

佐古 龍(株式会社リクルート住まいカンパニー ネットビジネス統括本部 プロダクトマネジメント1ユニット グループマネージャー)

佐古とにかく、市場価値が高い人材になりたいと考えていました。そのためには、希少度が高い技術や経験を持っていることが必要だと考え、仕事や環境を選ぼうとしていましたね。

最初は、得意意識のあった課題解決力を活かせるコンサルを志望したのですが、途中で単に自分が持つポテンシャルを最大化するだけでは、不十分だと気がつきます。というのも、コンサルを志望する人はたくさんいますし、その中で飛び抜けて優秀でなければ、どれだけ頑張っても上位10%程度にしかなれないと思ったからです。周囲と比べ努力できる自信はあったのですが、ポテンシャルが圧倒的にあるかは計り知れませんから。

ただ僕は上位10%とは言わず、唯一無二になりたかった。そこで、学生時代の経験を活かせるエンジニアリングを、掛け合わせられる場を探すことにしました。経験と能力をかけ算したときに、その積を最大化できる環境に就職すれば、ユニークな人材になれると思ったんです。

そもそも、佐古さんはなぜそこまで「唯一無二」な人材になりたかったのでしょう?

佐古過去に「できないことはない」と思える経験をしたことが関係しています。

僕はもともと勉強が大の苦手で、公立の中学校で「300人中、298位」を取ってしまうくらい。数学の点数は一桁台で、英語に関しては「be動詞」が何かも分からない。テストで調子がよく、3問連続で正解したときに、カンニングを疑われたこともあります(笑)。

そんな状態でしたから、高校受験では猛烈に苦労しました。家庭の事情で私立高校は選択肢に入れておらず、唯一可能性があったのは、地元の工業高校。とはいえ、とても合格なんて見えるような状態ではありませんでした。僕に残された選択肢は、全身全霊で頑張りその工業高校に入るか、就職するかの二択。そこからは、文字通り“猛勉強”しました。

最終的には、雰囲気に慣れようと記念受験した、工業高校より難しい国立高専に合格。そこから僕は勉強を続け、高専でも教科別で一位を取るなど、努力でトップを目指す楽しさを覚えたんです。

30歳までに役員になれなかったら、会社を去る

では、トップを目指すためにどのような環境を求められたのでしょうか?

佐古3つの観点で探していきました。1つ目は、「IT」が事業成長のドライバーになっていること。僕は学生時代にエンジニアと機械学習の研究をしていたので、ITの素養がありました。学生時代の経験が事業成長に直結する環境なら、即座に機会を得られるため、ITに力を入れている企業に行きたいと思っていました。

2つ目は、しっかりと利益を出していること。学生時代にスタートアップで働いていた際、「優れたサービスを開発していても、財務成長できていない」というシチュエーションに直面したことがあります。利益を継続的に上げ続けことができないために、挑戦がしにくく、企業も、働く社員も、希少度を高めるチャンスをつかめていませんでした。その経験から、僕はつかめるチャンスを最大化するために、就職先には「儲かっている企業」を選ぶと決めていたんです。

3つ目は、人が足りていないこと。どれだけ優良な企業でも、人が余っているような環境では、若い人材には機会が回って来づらくなります。そうそうに機会を手にするためにも、これも外せない条件でした。

そうした条件で見たときに、選ばれたのがリクルートだった。

佐古そうですね。軸をすべて満たしているのがリクルートでした。

まずリクルートには、紙媒体主体の会社から、インターネット事業主体の会社にシフトした過去があります。直近もそうした動きを続けており、Indeedを買収するなど積極的なM&Aを通じてIT化を推進していますよね。

また利益の面でも、申し分ありません。数百億円の利益を生み出す事業を複数持っていて、さらに新規事業が立ち上がる環境もある。儲かっていて、かつ新しいチャレンジをする風土があることは、僕が考える「希少度を高めるキャリア」として最適でした。

そして、紙からネットに移行するタイミングということもあり、僕が入社する当時は非ITネイティブの方が中心で事業を支えていました。ITに明るい人材であれば、今後事業の中心を支える存在になり、経営層にも食い込んでいけるだろうと思ったんです。

入社の時点で、経営層になるところまでイメージされていたんですね。

佐古「30歳の時点でホールディングスの役員になれていなかったら、会社を辞めます」と入社の時点で伝えていました。そこから、毎年撤退基準を設け自分にプレッシャーをかけ続けるようになりましたね。

パソコンのセットアップも終わらぬまま、Googleとの打ち合わせに

入社後の話も聞かせてください。1年目は、どのようなお仕事に従事されていたのでしょうか。

佐古エンジニア4人の小さなチームでサブリーダーを任されました。特に「これをやる」という指示はなく、テクノロジーを事業に活用する方法の模索をミッションに持っていましたね。

最初に取り組んだのは「SUUMO」のメディアのAMP(Accelerated Mobile Pages:Googleが推奨しているコンテンツを高速に表示させるための手法)対応。当時はAMPが出始めの頃で、普及するのかも分からず、既にあるウェブサイトをAMP対応させる技術的ハードルも高かった。

そこで、入社して2日目には、パソコンのセットアップも終わらないままGoogleさんと打ち合わせ、「住宅領域のウェブサイトをどうAMP対応させるか」という議論から、一緒にプロジェクトを進めていました。

入社後に早速、実務に入られていたんですね。

佐古後から聞いた話ですが、マネージャーの方たちが僕に期待をしていたそうなんです。入社1ヶ月後には文字通り“ノータッチ”で、クライアントとの商談も一人。「責任だけは取る」と腰を据え、何もかも任せてくれました。この前まで大学生だった自分に、よくもここまで裁量をくれたなと思います(笑)。

入社1年目から大きなプロジェクトを任されたり、視座の上がる経験をしたことは、その後のキャリアに活かされていますか。

佐古間違いなく活かされていますね。そもそも僕が1年目から活躍の機会を求めたのは、現DeNA代表の守安功さんが「俺が社会人を10年やってわかったことが1つある。1年目で仕事ができない奴は一生できない」と入社式で話したエピソードを知っていたから。若さに関係なく結果を出さないと、僕が目指していた唯一無二の存在になれないと思っていました。

「新人賞を取れなかったら、即退職する」くらい危機感を持ち、最初の1年を過ごしたので、現在があると思っています。

“大局的に考える”視座を手にしてから、見える景色が変わっていった

2年目以降の話についても、お伺いさせてください。

佐古2年目も引き続き同じ部署だったのですが、より事業成長に貢献できることにこだわって仕事を作るようになりました。特に注力したのは、国内外のスタートアップとの協業です。

それまでリクルートは内製開発が中心でしたが、スピード感的にはまだまだ足りていないと感じていました。そこで、高度なテクノロジーを外部から導入しようと、アメリカのMatterport社と協業。新規商品のリリースなどをおこないました。国内では、スタートアップへの投資もおこないましたね。

方針を変えるにあたり、苦労はなかったのでしょうか?

佐古大企業とスタートアップの間にある差に苦戦した時期がありました。学生時代にスタートアップで働いていた経験があったので、僕の中では「分かっている」つもりだったんです。ただ、思っている以上にリクルートのような企業とは前提が違っていました。

決済までのスピード感がまるで違いますし、海外の企業はカルチャーも異なります。協業するにしても、お互いに経済合理がないと、話は進みません。合理的理由をつくれず、話がまとまらないことに大分悩まされました。

どのようにして、その壁を突破したのでしょうか。

佐古「手段ありきで考えること」をやめたことでした。もともとは「テクノロジー活用を」と考えていましたが「事業を伸ばす」という目的ベースで考えるようにしたんです。すると、物事の見え方も変わってきました。

リクルートで百億円規模の利益を上げる事業のプロデューサーたちは、やはり目的ベースで物事を考えている。2年目以降、彼らと対峙する機会が増えたことで、視座が上がり、大局的に物事を考えるようになったと思います。

佐古さんは現在入社4年目で、若くしてプロデューサーを務められています。具体的に、どのような業務に従事しているのでしょうか。

佐古リクルートでいう「プロデューサー」とは、プロダクト責任者として事業経営を行うポジションです。僕はSUUMOの賃貸領域のプロデューサーとして、100名近くの組織を統括し、プロダクトに関わる意思決定を行っています。具体的には、事業計画の策定を行い、経営ボードと合意して投資を獲得するほか、事業計画の推進を担っています。組織設計、採用、人員配置、案件レビューまで、戦略実行における様々な判断を任されています。

若くして重要なポジションを任されていらっしゃいますが、ご自身では、会社からどのような期待をされているとお考えでしょうか。

佐古不動産は、まだまだIT化が進んでいない領域です。市場規模の大きさを考えれば、可能性に溢れた領域ともいえる。その中で「SUUMO」は現在、不動産ポータルサービスとしては非常に重要な位置にいると感じています。このタイミングでIT化の推進につながる一手を打てれば、「SUUMO」が業界を牽引していく未来をつくれるかもしれない。僕は、その転換を任されていると認識しています。

「リクルートで経営者になる」は、一つの選択肢にすぎない

「30歳の時点でホールディングスの役員になれていなかったら、会社を辞めます」と伝えているそうですが、佐古さんは今後のキャリアをどのように考えられているのでしょうか。

佐古僕は基本的に、人生を楽しく生きたいと思っています。現在はプロデューサーを務め、具体的には事業の経営をしていて、そのキャリアをすごく楽しいものに感じている。今後担当する事業が増えたり、経営のより上流に入っていければ、明らかにもっと楽しい人生になると思っています。だから、とにかく早く、その景色を見に行きたい。

その上で、「世の中に需要があり、なおかつ自分にしかできないこと」をたくさんしたい。それをしているときが一番面白いと思うからです。残りの人生で、そうしたものを何度も生み出していきたい。そのためには、どの会社で働くかも、重要ではないと思っています。

リクルートを離れることも考えているんですね。

佐古そうですね。ただ、リクルートで経営者としての経験をさらに積むことも魅力的な選択肢だと思っています。リクルートで学べることは、自分で事業を立ち上げた際にも還流できると思うので。

しかし、それらを両立させるのは簡単ではありません。今後どのようなキャリアパスを歩むかは、まだまだ悩んでいます。とはいえ、僕も27歳。あまり時間がないと焦っていますね(笑)。